沿革
昭和37年7月1日 | 「福島県青果物価格補償基金協会」設立 |
昭和40年6月1日 | 「福島県果実価格補償基金協会」設立 |
昭和41年7月30日 | 両基金協会の合併により「社団法人福島県青果物価格補償協会」設立 |
平成25年4月1日 | 公益法人移行により現在の「公益社団法人福島県青果物価格補償協会」設立 |
設立のあゆみ
1.国の事業発足と経過
道府県の野菜価格安定事業は、昭和34年京都府において実施された青果物の価格補てん制度が始まりといえますが、全国的規模のものとしては、昭和37年6月に「たまねぎ」の主産7道府県の出荷団体が生産安定を目的として、国や道府県の援助を受けて設立した財団法人青果物生産安定資金協会の事業が最初である。次いで昭和38年に、農林省は京浜地域に対して出荷される「キャベツ」の生産を安定的に増大させるため、野菜指定産地推進事業を実施し、価格安定事業を仕組んで同年9月に財団法人野菜指定産地安定資金協会が設立された。この両協会は、昭和38年・39年にかけて、玉ねぎ・キャベツの大豊作による市場価格の暴落に伴い、生産者に対して多額の補てん金を交付し、事業を続けることが困難となった。
そのため両団体は、国や道府県の指導助成を受け、制度を改正の上、事業を再建し、昭和43年の第51国会で成立した野菜生産出荷安定法の公布を期に10月に野菜生産出荷安定資金協会が設立された。昭和43年には、甚しい価格低落に見舞われ、44年度にも及んだ。45年に入ると、野菜価格は一転して高騰に転じ、これが消費者の値上りに著しい影響を与えるとして大きな社会問題となり、農林省は46年7月に、「野菜価格安定対策要綱」を公表した。財団法人野菜価格安定基金は47年8月に設立された。その後、野菜に対する国の施策は年々拡充され、旧両団体の機能を包摂し生産、消費の両面にわたる事業を効率的に、かつ、強力に実施する必要性から、昭和51年10月に野菜供給安定基金が設立された。又、昭和50年に設けられた農林水産省の野菜制度研究会は、指定野菜以外の野菜についても需給、価格の安定対策を講ずべしとし、昭和51年6月の野菜法の一部改正によって野菜供給安定基金が行う業務の一部となった。54年度に特定野菜等価格安定対策事業の業務を行うことになったのである。
2.福島県の事業発足と経過
(1)県の野菜価格安定の展開
本県の米に次ぐ有利な畑作の作物は、馬鈴薯であった。昭和33年には7,600~7,800ヘクタールの安定作付けがあり、そさい類の中で第1位を示していた。とくに品質も良く、市場の評価も高く優位性を保っていた。本県は出荷団体と共に産地の集団化を図り、産地銘柄の統一を計ると共に総合農協を中心に生産者の団結を強化し、真の共同販売の有利性を発揮することにつとめた。東北線の電化や幹線道路の整備が進むにつれ、大消費地である東京と本県の距離が短縮された。その結果からも、そさい共販の重要性が高まったのである。
(2)青果物価格相互補償制度の実施及び協会の設立
そさいの取扱いは、共販体制が逐次強化されると共に生産団地の造成とあいまって増大してきたが、各種の流通問題に関連する価格の不安定は、生産農家にとって経営を左右する大きな問題であった。
このため系統農協は価格安定対策については色々と検討してきたが、何としても政策的な安定策がとられていない現状では、抜本的な価格安定の施策の実現は困難であった。しかし何らかの対応策をもってこれに当らなければならないわけであるし、大巾な安値に遭遇した場合の対策が必要であった。そこで青果物価格相互補償制度について検討し、県に対してもこれが実現について要望したものである。36年6月県議会を通過し、同年8月1日から実施されたのである。
この制度は、会員が相互に基金を拠出し、一定の価格以下に販売価格が落下した場合、価格の一部を補てんしようと云うもので、基金は県、県経済連、総合農協が拠出するものである。初年度では、県、県経済連がそれぞれ100万円を、又出荷農協は販売代金の1%を拠出し、対象品目は馬鈴薯、白菜、トマト、インゲン、キュウリ、とうもろこしの6品目である。なお、昭和37年7月1日に福島県青果物価格補償基金協会が設立された。
(3)県の果実の価格安定の展開
本県の果樹は農業の成長部門として脚光を浴び、気候、土壌に恵まれた立地条件から躍進が期待されていた。出荷団体は昭和30年から、果実の取扱を開始し、農協の取扱と生産者の共同販売に対する理解も早く逐年取扱量は増大してきた。33年度には、果樹部を設置し、又、果樹委員会を設けて運営の強化を策し、生産と販売を結びつけるために生産指導を重視し、高商品、品質改善、規格を統一するため、共選指導に力を入れた。この様にして本県産果実の声価は次第に高まり、計画出荷、市場開拓をすすめ、系統農協の果実取扱体制の強化と並行して取扱高も飛躍的に拡大していった。
しかし、総合農協と県経済連、専門農協と果樹連の2本立の組織からなる本県の果樹取扱体制はあらゆる面で不利をまねき、共販の効果にも悪影響を及ぼしていることから組織の一本化を望む声が高まった。
(4)福島県果実価格補償基金協会の設立
果実の価格安定対策は、共選施設の整備拡充、共販体制の強化による出荷調整などによってすすめられてきたが、さらに生産農家の経営安定を図るため、昭和40年6月1日に福島県果実価格補償基金協会が設立され、同年7月1日に果実の価格相互補償制度が発足した。この制度は、県、県経済連、生産農家がそれぞれ3分の1の5,000万円ずつ拠出し、44年度までの5年間で1億5,000万円を目標に補償の財源の基金造成するということで発足した。対象品目はりんご、もも、なしの3種類で、補償の方法は、販売価格が一定の基準価格(過去5ケ年間の平均価格)より20%以上値下りした場合に、その値下り差額の40%を補償することとし、補償の限度は基準価格の80%とした。
3.社団法人福島県青果物価格補償協会の設立
本県の園芸事業は、自然的条件と地の利を得て、園芸生産物全般にわたる適地として発展し、40年には県樹1万1,000ha、そさい3万haの面積を持ち、生産額も果樹55億円、そさい115億円に達しており、さらに画期的な振興が図られつつあった。そこで将来性のある園芸作物の発展をささえる手段として、果実・そさいとも県の配慮を得て、県経済連、農協、生産者がそれぞれ応分の基金を拠出し、価格の補償制度を実施してきた。
ところがこの任意団体である果実・そさいの基金協会では、拠出金に対する損金算入が認められず、事務処理も複雑であったが、41年度から政令が一部改正され、農畜産物の価格補償を行うために基金として拠出する額については、免税措置が認められるようになった。ただ免税措置の適用を受ける団体の資格としては、民法第34条に示されている法人格を有することが必要であるため、これを機会に果実・そさいと別々に補償協会を有していたものを1本化し、運営の合理化を図ることになった。
この様にして昭和41年7月30日、果実・そさいの両基金協会は合併し、新たに「社団法人福島県青果物価格補償協会」が設立され、果実・そさい両基金協会の事業ならびに財産を引き継ぎ、本県園芸事業の発展及び生産農家の経営安定並びに国民生活に重要な青果物の安定供給に寄与するため、従前以上に業務拡大と制度の充実を図ることになった。